厚生労働省が示した介護福祉士国家試験における実務経験ルートの受験資格の改正案では、ホームヘルパー2級を取得していた場合、研修を320時間程度まで短縮化するとの提案も盛り込まれた。従来、導入が検討されていた600時間課程と比べれば半分程度の時間だ。しかし、この改正案も現場の介護職員に歓迎されているとは言い難い。
■600時間も320時間も「机上の空論」
「600時間はもちろん、450時間でも320時間でも、絶対に無理です」
こう断言するのは、ヘルパーとして東京都江戸川区の特別養護老人ホームで働く二瓶典子さんだ。彼女だけでなく、その同僚たちは、昨年末に厚労省が示した提案を全くと言っていいほど評価していない。
「『現場を知らない、机上の空論』と言い切る同僚もいます」
450時間や320時間など、相当に思い切った"削減案"ですら、「机上の空論」と切って捨てる介護従事者たち。その背景には、多忙極まりない現場の実情がある。
例えば、二瓶さんが働く江戸川光照苑の場合、25人前後の入居者がいるフロアが3つあり、それぞれに3人の職員が常時配置されている。ただ、3人のうち1人は入浴介助に掛かりきりになるため、実際は2人で1フロア分の入居者の食事やおむつ交換、移動補助などの業務を担当することになる。
それでも、二瓶さんは「2人いればいい方」と言う。
「ショートステイの入居のための荷物チェックや、入所者向けのレクリエーションや課外活動といったイレギュラーな仕事がある日は、1人でフロア全員のケアを担当することになります」
現在、二瓶さんは介護福祉士の国家試験を受けるための受験勉強に取り組んでいる。しかし、25人ものケアを1人で受け持つ日には、体力も気力もほとんど残ってはいない。週に何度かは業務後に生活相談員や同僚と勉強会を開いたりもするが、本当にまとまった勉強時間が取れるのは休日だけ。このため、ここ数か月ほどは休日の半分ほどを受験勉強に費やしているという。
「もし、300時間や450時間の研修が課されたら、受験勉強と同じように休日をつぶして対応するしかありません。しかも、それが1年も2年も続くわけですよね。これではとても持ちません。自分の時間がなければ仕事にも集中できませんし。だから、どうしても今の制度が続いているうちに合格したい」
■新たな受験制度では「介護福祉士は目指せない」
二瓶さんの同僚の澤田祐太さんも、やはり介護福祉士を目指している。既にホームヘルパー2級の資格は持っているが、まだ1年7か月の現場経験しかないため、今年、介護福祉士の国家試験を受けることはできない。
「いつ、新たな受験制度が導入されるのか。それがとても気になります」
厚労省の「今後の介護人材養成の在り方に関する検討会」では昨年7月、「600時間課程」の実施を3年程度延期する方針などを盛り込んだ中間取りまとめ案を了承した。だが、こうした方針が確定したわけではない。当初の予定通り、2013年1月の国家試験から「600時間課程」が導入される可能性も残されている。
もし、450時間や600時間の研修を受けざるを得なくなった場合、それでも介護福祉士を目指すのか。この問いに澤田さんは即答した。
「介護を辞めて別の仕事に就くかもしれない。あるいは、ホームヘルパーのまま介護の現場に残るかもしれない。いずれにせよ、介護福祉士の資格を目指すことはないでしょう」
新制度での受験をあきらめざるを得ない最大の理由は、ケアの質を保つためだという。
「実際に出向くにしても、通信教育を受けるにしても、研修の時間だけ仕事は休まなければならない。そんな時間が増えると、入所者の状態の変化に対応できなくなる可能性があります」
職員の長期にわたる研修が、現場のケアの質に悪影響を及ぼす可能性については、江戸川光照苑の水野敬生苑長も指摘する。
「研修する人材がいない間、代替の人材の補充を支援する案もあると聞いていますが、慣れない人がすぐに適応できるほど介護は甘くない。そもそも研修期間中だけのピンチヒッターで、期間が終わったら辞めてもらうなんて、都合のいい人材を確保できるとも思えません」
もう一つ、澤田さんが気に掛けているのは、お金のことだ。
「研修中は、夜勤を減らすことになるでしょうが、当然、給与も減ってしまう。大体、月に3万円程度は減収になるでしょう。さらに研修のための費用まで払うわけですから...。やはり無理があります」
■資金面などの支援策は検討されているが...
働きながら介護福祉士を目指す人への負担軽減策については、「今後の介護人材養成の在り方に関する検討会」でも議論されている。同検討会の委員の一人で、600時間課程の削減に反対する日本介護福祉士会の石橋真二会長も、次のように提言する。
「費用面については、『介護福祉士等修学資金貸付制度』(養成施設などを卒業後、貸し付けを受けた都道府県内で5年間、介護または相談援助の業務に従事した場合、修学資金の返還が免除される制度)を、実務経験者に転用するなどの工夫があり得ます。時間については、例えば『通信教育を半分程度。300時間を3年間で習得』という制度にすれば、通学は年間100時間程度で間に合う。1か月では10時間以下です。これなら月に2日の通学で済みます」
しかし、こうした負担軽減のための提言も、現場の介護職員には、いまひとつ響かないようだ。二瓶さんや澤田さんも、「今、論じられているような改正では、介護福祉士を目指す意欲はそがれるだけ」と断言する。ならば、どんな制度ならよいのか―。「同僚との笑い話ですけど」と前置きした上で、澤田さんは、こんなふうに話してくれた。
「例えば、講習時間を45時間まで減らすとか。あるいは450時間を受講し、合格した後には月収30万円が保証されるとか。このくらいの条件があれば、介護福祉士を目指す人はぐっと増えるでしょうね」
1月20日には「今後の介護人材養成の在り方に関する検討会」が開かれ、昨年末に提案された450時間の研修時間の是非が、改めて論じられる。なぜ、450時間なのか。その研修を受けることで、どんなメリットがあるのか。働きながら受講する人への支援策は-。介護福祉士を志す人々は、大きな不安を抱えながら、その議論の行方を見守っている。